◆東京日本橋東ロータリークラブ 会員 上田 裕子
1905年にシカゴで誕生したロータリークラブ。その時期のアメリカは商業道徳の欠如も有りそれを憂いた数名のビジネスマンが立て直すために協力し、「真実・公平・友情・皆のためになるか」を目指してスタートしました。発足以来110年以上が経った今、世界200か国以上の国々に広がり会員数も120万人を超えています。
年一回6月に開催される「国際大会」は開催地が加盟の国々の全世界で開かれます。例えばここ数年の開催地はリスボン(ポルトガル)、シドニー(豪)、サンパウロ(ブラジル)、ソウル(韓)、アトランタ(米)でした。
今年はトロント(加)、その後ハンブルグ(独)、ホノルル(米)、台北(台湾)と続き国際大会は世界を回ります。大会は「開会式」から始まり、期間中は多種多様なシンポジュウム、開催地が準備するイベントやエンタテイメント。ガバナー夕食会や数百名の日本人参加があるため日本人朝食会も開かれ、そして閉会式で4日間の幕を閉じます。会場には各国のブースが並び「友愛の家」というブースは世界中のロータリアンを繋ぐ場として活用出来ます。国際大会に出席すると世界のロータリアンとの一体感を感じ「あなたは、どこのロータリークラブ?」という会話から全く違和感ない会話が始まるのは共通意識を持っているロータリアンだからだと思います。
それぞれのクラブでは週一回の例会で「奉仕」を軸とした委員会活動報告やその他諸々の報告事項があり食事を共にしながら聞きます。後半の30分はゲストの卓話を拝聴します。多分野で活躍しているロータリアンであるからこそ医学から文化、芸術関連までと幅広い卓話者の選別が可能で興味深い話を聞く機会となります。
また、ロータリーの良さは社会的地位が高くてもそうでなくてもロータリーのたすきをかけて(委員会の仕事での習わしです。)クラブのための仕事をする時は全ての人の立場は「並列」となります。皆さんと分け隔てなく会話を楽しめる土壌がロータリーにあると私は感じます。例会や懇親会で友情を深めた末に一抹の不安を抱えながら委員会委員長を拝命すると、周りで見守り助けてくれ困った時は自然に手を差し伸べてくれる仲間達が居るのを確信します。持ち回りの委員長なので経験者は当事者の気持ちが良く分かるのだと思います。そんな場面に出くわした人は感謝をするので、その思いが次の人また次の人へと繋がって行きます。
15年前から女性会員の入会が始まった私共のクラブでは現在、女性会員が全会員の15%を占め日本のクラブの平均値(5%以下)を大きく上回っています。女性も男性同様の社会的責任を担っている資格の会員なので相互に理解が出来和気あいあいとやって居ります。ロータリークラブの活動では道徳観に重きを置く「人間性」や「人間力」が磨かれるのを感じます。もうすぐそこに人間とAIの共存共栄の時代が来ています。
「人間は人間らしく」の問いに答えるのにロータリアンは相応しい人達と思います。
◆東京日本橋東ロータリークラブ 会員 井口 弘子
私は13年前に社長から「ロ-タリ-クラブに入会するように」と言われ、当時から女性会員を受け入れていた当クラブの門を叩き入会させて頂きました。
現職の前、学校卒業後の28年間は旅行業界に勤務しておりました。
当時の会社の社長は1968年~1969年に日本から出た最初のRI会長をした東ヶ崎潔さんでした。国際基督教大学の創立者の一人です。私はロ-タリ-室に配属されロ-タリ-クラブの皆様向けの旅行や国際大会へ参加する旅行の企画、募集、添乗などをしておりました。
ロ-タリ-クラブとはそんな縁から始まりましたので、1973年~1997年の間には添乗員として、国際協議会、国際大会に15回参加させて頂きました。主にガバナ-ノミニ-のコ-スにお伴することが多く、企業経営者であり大任を目前にした方をお連れするこの旅の添乗業務は本当に大変でしたが、それ以上にロ-タリアンから教えて頂いたことが数多くあります。
そして会員となり、ロ-タリ-を通じて友人と出会い、地域社会とのつながり、ほかでは味わえない貴重な経験をしてきました。
そして2017年度~2018年度の幹事を務めさせて頂くことになりました。今年度の当クラブの運営方針は「クラブファ-スト」を旗印に会員の親睦を第一に更なる例会の活性化を目指します。皆さまが楽しめる時間を共有して、会員同士の絆を深め、充実したクラブライフが送れる一年にしていきたいと考えています。
今は、取り巻く環境の中で未来への展望を持つことが大切であり、変化してはいけないもの、変化していいもの、変化しなければならないものがあり、ロ-タリ-クラブにあってもロ-タリアン一人ひとりが考えるときではないかと思います。次の段階へ挑戦していく。自分はどうしたいのかと言う自主的な行動や意志が大切。何か力になりたいと言う願望、人々のために活動するという奉仕の喜びを実感できる行動をとって行きたいと思います。
このような責任ある立場を任せていただけることに、感謝を忘れずにいたいです。
私の曾祖父は畠山一清氏と一緒に荏原製作所を創立。「人間は朝から晩まで働き、死ぬまで働きつくすものなり」と言う畠山氏の精神を時折聞いていました。
幹事と言う重責を担うには力不足でありますが、松井会長を支え、活力あるクラブ運営を目指し、働きつくす気持ちです。会員の皆様方にはご支援、ご協力を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
「白壁と屋形船と花火」